2016/06/19

松本雄吉の魅力


松本雄吉の魅力
 私は、高校一年生の時に維新派の作品をVHSで見た。その衝撃は今でも忘れられない。そのVHSには「ヂャンヂャン☆オペラ」と書かれていた。私は、親戚にミュージカル劇団に所属していた人がいたこともあって、オペラを見る機会は普通の高校生よりも多かったと思うが、「ヂャンヂャン☆オペラ」というモノは聞いたことが無かった。私はそれをいかがわしいと思いながらも、その音の響き方に内心惹かれた。
 その先輩は、私にVHSを渡すとき、「演劇に対する考え方が変わる。これを見ないと、舞台芸術について何かを語るべきではない。これは、日本の集団だ。」と言った。そしてそれを見終わったとき、私は先輩の意見に激しく同意した。そして自分が日本人であることを、強く意識した。「維新派がいる日本に住んでいる私」を誇りに思ったという、世俗的な意味もあったかもしれない。しかし私は、維新派の舞台を通じて、日本人である自分の、日常的にはあまり気にも止めない身体性や土着性などを、少し考えるようになった。
 松本雄吉が手がける舞台には、見たことも無いセカイがある。しかし、そのセカイは決して私たちの生活から遠いものではなく、とても身近に感じられるセカイだと思う。芸術作品における普遍性とは、きっとこういう事を言うのだろう。私は、16歳にして舞台芸術の普遍性を体感した。白塗りの人々が、変速拍子に合わせて分断された言葉を発し身体を動かし続けるあの情景(憧憬と言って良い)に、私は驚嘆しつつも、懐かしさを覚えた。
 殆どの物事がコピー&ペイストでデジタル複製可能であり、無数の人々の「つぶやき」に追われる目まぐるしい時代にあって、松本雄吉の舞台作品は、予想を遙かに超えるスケールで、見たことも無い1回限りのセカイを、その時その場に提供してくれる。役者が発する言葉はニューロン回路のように連鎖し、超現実的な空間を(人工的に!)その場に立ち上げる。そのセカイは唯一無二でありながら、人々の無意識に訴えかける強烈な力を持つ。
 長い人生の中で、私たちはそれぞれにそういった「その時その場」の体験を持つ。しかし、時間の経過と共に、「その時」は「あの時」に変わり、いつしか心の奥に、それは仕舞い込まれてしまう。しかし、優れた芸術作品には、忘れかけてしまった「あの時あの場」を引っ張り出してくる力がある。松本雄吉のセカイは、まさにその事を思い出させてくれる。だから私は、維新派の舞台に触れ、懐かしさを覚えたのだろう。
 松本雄吉と少しでも話を交わしたことがある者は、まず彼のバイタリティに驚くに違い無い。その源泉は、心の奥に仕舞い込まれた「あの時あの場」を引っ張り出そうとする、その純真無垢な、嘘偽りの無い生き様にある。自転車で路地を回り、五感を駆使し、様々な現象に触れ、自分に新しい風を送り続ける松本雄吉。そもそも維新とは、【すべての事が改められること/すっかり新しくなること】の意だが、決して特別に松本雄吉が新しいのでは無い。現代社会に生きる私たちが、日々古くなり、色々な事を見落としているのだと思う。
 芸術が社会を浄化する、などと大げさな事を書くと、松本雄吉は照れ笑いをしつつ否定するかもしれない。しかし、その可能性を秘かに信じ続けている(に違い無い)彼の目には、一点の濁りも無い。澄んだ瞳で、松本雄吉は何処か遠くを眺めている。
演出助手:伊藤拓

第1回精華小劇場製作作品「イキシマ breath island」
会場:精華小劇場
日時:2010年2月18日-28日
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テキスト 松田正隆(マレビトの会)
演出 松本雄吉(維新派)
出演 芦谷康介 大熊隆太郎 岡嶋秀昭 沙里 金乃梨子 高澤理恵 速水佳苗 宮川国剛 宮部純子 山口惠子 山下残
舞台監督 大田和司
舞台監督助手 若林康人
照明 吉本有輝子
映像 山田晋平
音楽 佐藤武紀
音響 大西博樹
舞台美術 武岡俊成
演出助手 伊藤拓
宣伝美術 松本久木
宣伝写真 ホイキシュウ
広報:間屋口克
票券:小林みほ
制作:安部祥子、幸野智彦、小山佳織、山崎佳奈子
プロデューサー:丸井重樹