2011/12/20

▼演劇とは何かとか表現とは何かとかを探っていると、それに付き合い切れない人が出てきます。実験するのに他者は必要ない、という演劇評論家の内野さんの言葉(元々はまた別の人の言葉だったかな?)が印象的でした。実験に付き合える人は、ある程度その人の問題意識が共有できるアーティストだと思います。アーティストと仕事をしたいとつくづく思うようになっている今日この頃です。逆に他者と仕事する時は、他者と仕事をするときのモードを演じます。そういったモードで仕事をするのは、あくまでも私の副業的なもので、本業としては、したいことを信じられる人とやるだけです、と信じていきたいです。他者とコラボするのを演じる事も、もちろんちょっと楽しいです。しかしその場合、その他者が圧倒的な他者である必要がまた同時にあるように思います。圧倒的な他者とは、私が愛情も憎悪の念も全く持ちえない、距離を持ったまだ見ぬ他者、理解しえないほど素っ頓狂な存在としての他者なのかもしれません。残念ながら劇団を続けていれば、自然とそういった他者が減ってしまいます。距離が近づいてきてしまうのです。(特に学生上がりではその傾向が顕著!)。そのことの善し悪しを集団で考える必要があるでしょう。誰かに指摘されてそのことに気づくのではなく、自然と自分で気づく必要があるのです。そして、当事者同士の近距離に気づいたときに取りうる方法は、離れるか、さらに近付くかです。しかし人間としての魅力とアーティストとしての魅力は全然違うので、そこはとてもシビアに考えていく必要があります。上記のような事を考えて、2011年はじっと籠っていました。大阪小劇場を熱心に見ている方や、France_panの動向を多少なりとも気にかけて頂いている方ならお察しの事かも知れませんが、今現在France_panメンバーがどこかの作品に出演する場合、(France_pan)、を外してもらっています。(例外は加藤智之の一人芝居でしたが、あれは再演だったので括弧を外すのをやめました)。外したのは、僕がそれぞれの個人と個人として付き合いたい、といったら大げさですが、個人として彼らを見つめてみたい、といった意識からそうしたのです。もちろん自分のところの活動が休止なのに括弧フランスパン、と書かれていることに気持ち悪さを覚えたのもあります。括弧で所属が示されれば、その集団を代表していると見なされるのですから、僕がそのような心配をしてしまうのも、ある意味でご理解いただけるかと思います。でもちょっと過剰な対応でもありますよね。という事も自分で分かっていながらなのですが、云々。とかこの辺どうでもいいか。いずれにせよ、個々に色々なところで活躍しているようです。
ということで、今日19時にうちの会議があって、諸々がたぶん決まります。決まったらたぶんここでお知らせします。
▼ということで、先週は、ピンク地底人、したため、コンタクトゴンゾ、LIVE SOUTH vol.5、を観ました。濃い週末を過ごせました。個人的には川崎歩「だから撫ぜる」出演:川崎歩+ファミリー、がとてもよかったです。今月末ごろに、三田村君発案企画で2011年に見た作品で印象的だったのをだらだら話そうぜ、的なものが僕の家でたぶんあるのですが、その時にその理由はまた語ります。